有限会社菊井鋏製作所は、職人の手仕事による高品質な理美容鋏を製造し続けてきました。菊井雅美さんは、社長の菊井健一さんとともに会社を支える立場にあり、日々の業務をこなす中で「外向きの活動」と「職人たちの意識」とのギャップを感じていました。このギャップを埋め、社内の一体感を醸成することの課題へと向き合った今回の取り組みについてお話を伺いました。

日常として関わるなかで、自然と見えてきた職人の世界
――― まずは会社の概要と、ご自身の役割について教えていただけますか?
菊井雅美さん:有限会社菊井鋏製作所の菊井雅美と申します。社内では経理や事務など、バックオフィス業務を担当しています。所属や役職といった形で明確なポジションがあるわけではないのですが、夫の健一が社長を務めており、家族経営というスタイルでこれまでやってきました。ですので、日常的に社長とは密にやり取りをしながら、社内の業務に関わっています。
――― 菊井鋏さんはどのようなものを作っていらっしゃるのですか?
菊井雅美さん:当社は、美容師さんが使用する理美容バサミを製造しています。この道一筋、約70年になります。創業以来、ハサミひとつに真摯に向き合い、ものづくりを続けてきた会社です。職人たちが一本一本手作業で仕上げる工程が多く、非常に専門性の高い仕事です。私自身は職人ではありませんが、会社の日常に深く関わる中で、ものづくりの現場の空気感や、職人のこだわりには日々触れていると思っています。
職人の技と会社の発信、その間にある“温度差”
――― 今回、VALUEに参加されたきっかけや背景について教えてください。
菊井雅美さん:VALUEの存在自体は、和歌山県庁や他の事業者さんとのつながりから、第1回や第2回のころから知っていました。今回参加しようと思ったきっかけは、社内での気持ちのズレにありました。最近は、社長の外向きの活動が非常に増えていて、それに対して社内、とくに職人たちとの間に意識のギャップのようなものを感じるようになりました。
――― そのギャップに向き合いたいという思いがあったのですね。
菊井雅美さん:はい。社長が外でいろいろと活動しているのに対して、現場の職人たちは「自分たちの仕事とどうつながるのか分からない」と感じている様子があって。ただ、これまでのVALUEは新規事業開発のイメージが強く、当社のような既存事業を主軸とした会社にとっては、少し距離があると感じていたんです。そう思っていた最中、今年度から文化醸成を取り扱うコースが新設されると知り、「これならうちにも合うかもしれない」と思い、VALUEの参加を本格的に決めました。

――― VALUEの取り組みを通して、印象に残ったことや気づきはありますか?
菊井雅美さん:私はVALUEの実践ワークショップ直前から参加したため、前半のワークショップにはあまり関われていませんでした。ただ社長が社内でひたすらビジョンを考え、言葉にしようと悩んでいる姿をそばで見ていました。それを通じて、「ひとつの言葉を作るには膨大な背景や考えが必要で、そうでなければ意味のない表現になってしまうんだ」と強く感じました。言葉の力や重みを改めて実感した瞬間でもありました。
――― そこから社内での「対話」につながっていったのですね。
菊井雅美さん:そうですね。今回は職人たちとたくさん対話する機会を持ちました。最初は「普段寡黙な職人たちが話してくれるだろうか」「拒否反応が起きないだろうか」とすごく不安だったのですが、デザイナーやビジネスパーソンといった支援者の方々が本当に上手に場を整えてくださって。自然と皆が本音を話せるような空気が生まれていきました。回を重ねるうちに職人同士のやり取りも増え、「相手のことを少し気にかける」ような空気感が生まれてきたのがとても印象的でした。

“まとめる”のではなく、“そのまま残す”という選択
――― 実践フェーズや伴走支援期間では、どのような取り組みをされましたか?
菊井雅美さん:「ダイアローグノート」という、職人たちとの対話で出てきた言葉を記録するノートを作成しました。職人たちがどんな思いで日々の作業に向き合っているのか、その“温度感”を残すことを目的としています。実は、VALUEの実践フェーズが始まるのと同時期には、すでに「職人総会」という全員での話し合いの場ができていました。その中で多くの言葉が出ていたので、「あとはまとめるだけだよね」と思っていたんです。
――― しかし、まとめる過程で難しさもあったのですね。
菊井雅美さん:はい。当初はクレドのように数個のキーワードでまとめようとしたのですが、どうしても職人たちの言葉の生々しさが失われてしまって…。2on2での深掘りや、社長と私で言葉を組み立てようとしたものの、「やっぱり違う」と感じることが多かったです。アドバイザーの方から「もう一度話すことも大事では?」とアドバイスも受けましたが、正直、職人たちにとってもこれ以上を求めるのは大変だなと思っていて…。だからこそ、「今ある声をそのまま素直にまとめよう」と決めたんです。

次の対話へとつながる、ダイアログノートのその先
――― 仕上がったダイアローグノートは、今後どのように使っていく予定ですか?
菊井雅美さん:このノートは、「まとめて終わり」ではなく、「次の対話を始めるための入口」として位置づけています。たとえば、次の職人総会までの間に、「前回はどんなことを話したか」を振り返ったり、日々自分の気持ちを整理したりするような使い方ができればと考えています。
――― また今後違うアクションを起こしてみたいというお考えはありますか?
菊井雅美さん:はい。将来的には、美容師さんなど、製品を使う人たちを招いて、一緒に話ができる場にできたら理想です。異業種の職人さんと交流する機会が生まれてもいいと思います。そこから会社のルールのようなものが自然に生まれる可能性もありますし、逆にそういう仕組みがなくても、互いに“察し合って動ける”ような状態が生まれれば、それが一番いいとも思っています。この「職人総会」という場が、今後も自然なかたちで続いていくことが、私たちにとっての一番の成果です。
インタビュイー

有限会社菊井鋏製作所 菊井雅美
栃木県宇都宮市出身。結婚を機に和歌山へ移住。夫がものづくり企業のアトツギだったことから、菊井鋏製作所に入社し、会社の事務・採用を担当している。 職人の仕事に興味があったわけではなく、たまたま「美容師のハサミを作る会社」に入ることになったが、VALUEを通じて職人たちの真摯な思いを感じたことで、この会社の未来を一緒に考えていきたいと思うことができた。会社の内にいる「外の視点」として、これからも菊井鋏を支えていく。